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74.清静

先生は「清静為天下正(清静は天下の正となる)」という老子の言葉を紹介されました。続いて「一塵不染謂之清(ひとかけらの塵にも染まらない、これを清と言う)、一念不生謂之静(一つの考えも生まれない、これを静という)」という言葉も紹介されました。清静とは、ひとつの汚れもなく、一つの雑念もない真っ白な自分のことであると言われ、太極拳の動きに中でこれを求めるのが、修行であると言われました。「そんなことできる訳がない」と思うだろうが、不可能と思われることを理想として追っかけることも良いのではないかとおっしゃるのです。そして私たちは、次の流れの動作をしました。

 

 予備勢 ⇒ 起勢 ⇒ 雲手⇒ 野馬分鬣 ⇒ 攬雀尾 ⇒ 収勢 ⇒ 予備勢

 

 この間、先生は、「身体の緊張は汚れである。緊張しているところがあるのに気が付いたらそこを緩めろ、頭の中で次の動きのことを考えているのは雑念である。直ちに取り除け。一つのことに捕らわれず全体に気を回すようにしろ。」と注意され続けました。私は懸命に先生の言われるようにしようと思いましたが、途中でそのこと自体が清静から外れるのではないかと思い、身体が動くのに任せてみました。結構身体が覚えたことは考えなくても動くもので、逆に重心がズレたとか、身体が傾いたとか、手と足のバランスが悪いとかに気がつきました。終わった後で、これがわずかではあっても清静の端っこに入っていたのかもしれないと思いました(自己満足)。

 

 これからも、動きの中で、汚れをとるようにしていけば、先生が言われるように、次第に小さなヨゴレにも気が付くようになり、一生、汚れ取りを楽しむことができるのだろうと思いました。心理学者の茂木健一郎さんのいう「オープン・エンド」はこういう「たどり着かない目標」のことを言うのだろうなと思いました。繰り返し練習をすること、それが汚れを見つけることにもなり、汚れを取ることに繋がっていく、次には小さなヨゴレにも気がつくようになる。やはり、これは一生の楽しみであると思いました。